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松井秀喜さんNYに愛され引退

7月29日 21時05分

原口秀一郎記者

大リーグのレイズを最後に、去年現役を引退した松井秀喜さんが、28日、7年間在籍したヤンキースと1日限定の契約を結び、ヤンキースの一員として引退セレモニーに臨みました。ヤンキースにとっては、異例ともいえる待遇です。松井さんがヤンキース、そしてニューヨークのファンに愛される理由はどこにあるのか?
取材に当たったアメリカ総局、原口秀一郎記者が解説します。

「生涯忘れられない」セレモニー

背番号「55」。引退セレモニーでは、伝統のピンストライプのユニフォームを身にまとった松井秀喜さんが、ヤンキースタジアムのマウンドに立ちました。このユニフォームに袖を通すのは、実に3年9か月ぶりで、試合開始前の始球式でキャッチャーをめがけて思い切りボールを投げ込みました。

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この日のヤンキースタジアムは、シーズン中盤の試合には似つかわしくないほど、特別な雰囲気に包まれました。試合開始の2時間前、午前11時の開門時間には、スタジアムの周りに数千人のファンが列を作りました。その中には、「55」番の背番号をつけたユニフォームやTシャツを着たファンが数多くいました。私が出会った中で一番乗りは、午前7時過ぎに並んだという日本から来た男性。でも日本からのファンだけでなく、地元ニューヨークのファンも「松井Tシャツ」を着て列に加わりその時を待っていたのです。

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車で球場入りした松井さんはこの光景に出くわして「ワールドシリーズの時でも、こんなにファンが並んでいたかな。チームを離れて3年以上たったいまでも、自分の背番号が入ったTシャツを着てくれるのはとても嬉しい。よくみんな捨てずにもっていたな」と振り返っていました。

試合開始の20分前、いよいよ松井さんの引退セレモニーが始まりました。
「Hideki Matsui」
ヤンキースタジアムに聞き覚えのあるアナウンスが流れ、松井さんが姿を見せた瞬間、スタンドを埋めた4万7000人をこえるファンは総立ちになって拍手を送り、ヒーローを出迎えました。
スタジアムのファンの歓声がひときわ大きくなったのはヤンキースのキャプテン、デレック・ジーター選手が、松井さんに、記念のユニフォームを手渡しした瞬間でした。そのユニフォームとは、2009年、松井さんがワールドシリーズMVPに輝いたあの時のデザインのもの。松井さんの親友でもあり、そのワールドシリーズをともに戦ったジーター選手と、松井さんのやりとりは、スタンドの人々に、松井さんとヤンキースの特別な関係をはっきりと思い出させました。
松井さん自身も一連の引退セレモニーを終えて、「こういう歓声は初めてかもしれない。涙が出そうになりました。生涯忘れられない日になったと思うし、感動した」と笑顔で振り返りました。

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記憶に残る勝負強さ

松井さんが、ヤンキースでプレーしたのは2003年から2009年の7年間。決して長い時間ではありません。にも関わらず、なぜ一日契約、そして引退セレモニーが行われるまでになったのか。
まず第一に挙げられるのが、記憶に残るホームランやヒットが多かったことです。特に、地元ヤンキースタジアムでの活躍は顕著でした。
2003年、ヤンキースタジアムでの最初の試合で打った「名刺代わり」の満塁ホームラン。その年のプレーオフのリーグ優勝決定戦第7戦では、宿敵レッドソックスを相手に、終盤同点に追いつくホームイン。ベース上で飛び上がって喜ぶ姿が印象的でした。
その後も、チャンスの場面で数多くのヒットを打ち、2009年のワールドシリーズでは、13打数8安打、3本のホームラン、8打点と、驚異的な活躍でした。
記録以上に、ファンの心をつかんだ記憶に残る活躍が多い選手でした。

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まじめな性格・気さくな人柄

そして、もうひとつ大きな要因が松井さんの人間性です。チームメートからも、ファンからも愛されてきた松井さん。ともにヤンキース1年目から取材を続けてきた地元の2人の記者が、当時を振り返って話してくれました。

地元ラジオ局のスウィーニー記者は、2006年に松井選手がプレー中に左手首を骨折し、はじめて故障者リスト入りした当時を振り返りました。
「あのけがの後、彼は声明を発表してチームメイトに謝罪した。全力でプレーをしたからけがをしたのに、なぜチームに対して謝罪をしなければならないのかと思ったのを覚えている。でも、ヒデキは、戦列を離れることを謝罪しなければならないと感じたのでしょう。自らのことよりもチームのことを考える姿勢は、チームメイトから尊敬を得ることになったのです」

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ニューヨークの地元新聞、デイリーニューズのハーパー記者は、クラブハウスでの様子を話してくれました。
「言葉の壁があるのにもかかわらず、松井選手はとても接しやすいフレンドリーな選手だった。試合のあと、話を聞きに行ったときに、彼は隠れることなくいつもロッカールームにいました。成績が悪いときも良いときもです。彼は言い訳をしない男でフィールドでもロッカールームでも同じ姿勢でした。それはチームメイトに対しても非常に良い印象を与えたと思います」

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こうした、ひとつひとつの行動の積み重ねが、松井選手をニューヨークのヒーロー「Hideki Matsui」への成長させていったのです。

気になる今後は?

松井さんは、今年5月の国民栄誉賞に続いて、ヤンキースでの引退セレモニーで、野球人生でのひとつの区切りを迎えました。
ここで気になるのは、松井さんの今後です。
松井さんは、引退セレモニーを終えたあと、NHKのインタビューに答えてくれました。
その中で松井さんは、将来について「具体的には、まだ自分でも見えていないんですけど、野球やスポーツで、すばらしい経験をできたので、その経験を少しでも次の世代の人たちに伝えていけたらいいなと思っています。どういう立場かは分からないけど、そういう気持ちだけは持っています」と話しました。

具体的な答えはありませんでしたが、「自らの野球を伝えたい」という強い意志を、改めて明確に感じることができました。松井さんの野球人生の次の章がどうなるのか、とても楽しみに思うのは自分だけではないはずです。

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